あたしは「こたろう君のおかーさん」とか
「こたちゃんのママ」と呼ばれるのが苦手。
そもそも母になった覚えもないし、
こたろうのことを母感覚で
見たことがないから。
血管肉腫以降、この世の後半戦、
あたしはこたろうを最優先にしてきたけど、
育てたつもりも母性を感じたこともない。
あたしとこたろうは家族だったけど、
うちの子と表現することもあったけど、
決して親と子ではなかった。
対等を目指してたわけじゃないけど、
なんとなくお互いがそれぞれ自由に
したいことをしたいようにしていた。
あたしが外出しないのはこたろうに
留守番させるのが可哀相だからではなく、
単に家が好きだから、出不精だから、
ひとりで出かけるくらいならこたろうと
いつも通りにしとこーってだけだった。
結局1日なにをするでもなく、
こたろうはひとりで寝まくっていて、
あたしはひとりで画面ばかり見ていて、
やり取りするのは散歩とごはんの時くらい
なんて休日は数えきれないくらいある。
無意味に呼んだり撫でたり抱いたりする
習慣もなかったから、こたケア以外
あたしが自分からこたろうの身体に
触れるってことも少なかったと思う。
うちはこたろうが寄ってくる役で、
あたしがそれを受ける役回りだった。
仕事中も休憩中も就寝中も
こたろうが自分の都合でタイミングで
あたしのおケツに腹に足に脇の下に
勝手にくっついて勝手にのぼって
勝手にはまっていた。
あたしは自分の体勢が辛ければ、
こたろうがどうこぼれようと好きに動くし、
ひざの上で気持ち良さそうに寝てるから
トイレにもいけない。なんて気遣いも
ほとんどしてこなかった。
それくらいがちょうど良かった。
疲れるから、汚れるから、危ないから、
面倒だから、他人の目があるから、
そんな理由でこたろうの好奇心を
邪魔するのも違うと思っていた。
エンドレスなプールも、地域猫との絡みも、
段ボールファイトも、買い物袋の確認も、
雷や雪への興味も、みんなそう。
いいよ、好きなだけやりな。と言うと
途端にキラッキラな顔になって、
それはそれは楽しそうだった。
見てるこっちの方が嬉しかったから、
これを対等というのもどうだろう。
こたろうはどんなに遊びたくても
散歩に行きたくてもおなかが空いてても
仕事の邪魔だけはしなかったし、
あたしがぶちぶち言ってたら、
困った顔で眉毛ハの時にしながら
傍で静かに聞いていてくれたし、
丸っとすべてを受け止めていたのは
こたろうの方だったんだろうな。
平常モードでなくなったこたろうと
向き合っていたあの期間の感覚への慣れと、
最後のひと月こたろうに無理をさせた
頑張らせ過ぎたという思いもあって、
あたしはしばらく居もしないこたろうに
気をつかってしまっていたらしい。
残ったドライが切れてからも、
自分は朝食を摂る習慣がないのに、
なにかしら朝のこたメシを用意してみたり、
自分の食事をこたろうに分け忘れたくらいで
あーあ。と思ってみたり。
だけど最近になって、
あれ?自分ってこんなんだったっけ?
って気づけるようになってきた。
朝イチにこたろうの水を変えるの忘れたり、
半日こたメシに供えるものがなかったりしても、
ああ、ごめんごめん。忘れとったわ。
あたしも食ってないんやし、そこはつき合えやー。
って言えるようになってきた。
そうだったそうだった。
長いことうちらこういう関係でやってきたわ。
そんな感覚が戻ってきた。
もしあたしのこと見えてたら、
こたろうかゆかっただろうなー。
いやぁ、らしくなかったわー。
おまけ。
です。
うわー、長なったー。