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あるじの半年。

凪

こたろうが逝ってしまってから
ふわふわしてソワソワして
地に足がついていない感じだった。

仕事も全然手につかないし、
食べる事にも眠ることにも
ちっとも興味がわかないし、
こた♂ろぐの更新をやめてからは
日常の全部がそれまでとは違っちゃって、
とにかくすべてがうわのそらだった。

2008年血管肉腫を患った夏から
いつかこたろうのいない世界で
生きることになるんだと
現実的な覚悟もたくさんしてきたし、
どう生きるか考えたこともあったけど、
なんか全然ダメだった。

ひとりになってから
仕事が忙しくなったり暇になったりしたけど、
忙しくなればなったで
なんのためにこんな必死で働くのかとイラつき、
暇になったらなったで
自分からこたろうと仕事をとったら
なにひとつ残らんなと自滅。その繰り返し。

こたろうの眉毛がハの字にならないように
最低限の生活だけはキチンとしよう
と思ってやってきたけれど、
それをこなすのはあくまでもノルマで、
自分のためには何をどうやり切っても
楽しいとか嬉しいとか思えなかった。

こたろうと暮らしている時には
なかなか手を出しづらかったことなんかを
色々試せばよかったかも知れないけれど、
結局なんにもやらずにきたな。

これまで帰省も海も雪山も日常の散歩も
「こたろうが笑うから」だけが出かける理由だったし、
出不精な上に衣食に対しても執着ないから、
美味しいものを食べにわざわざどこかへとか、
散歩用じゃないおよーふくが欲しいわとかもないし、
切り替え方がわかんなかった。

救える命は救わなければと思いつつ、
こたろうの生き様を間近で見過ぎたせいか、
自分まで燃え尽きた気になって動けなかった。

だけどこの半年で自分は自分だけのためには
頑張れないってことがよーくわかった。

やり甲斐とか生き甲斐とかに値する対象って、
自分の外にあるんだなーって痛感した。

元々猫派だったからここはひとつ猫さんを
とも思ったけど、周囲の全員から反対されて断念。

その理由は欠落した社会性が一層ひどくなるだとか
ワンコじゃないと一緒に散歩にできないだとか、
猫さんの通院は大変だとか色々。ごもっとも。

そうしてこたろう6回目の月命日に
意を決してようやく行動。

預かりさん宅出身の「もう既に良い子」には
きっと家族が見つかりやすいだろうと、
直接センターを見学させてもらうことに。

思い立った3日後にセンターに行った。

この半年、こたろうにはずっと
「まだかまだか」ってせっつかれていて、
この時やっと「よし」って言われた気がした。

つづく。

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